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3月18日に鍋島大名行列を見ましたが、その時佐賀城を出発して市内を歩き、また、県立の佐賀城本丸歴史館に帰ってきて、館内を見学しました。
歴史館の見学は、無料なので3回目ですが、今回は説明ボランティアの方の始まっていましたので、グループについて一緒に回りました。歴史館は31億円の建設費がかかったとのこと。さて、幕末に薩長土肥の力により、明治維新が行われたのですが最後の肥は肥前鍋島藩、つまり佐賀県だったのです。私の住んでいる佐賀は、前回に書いているように貧乏藩で、明治維新に大活躍したことが疑問でしたが、見学の説明でよく判りました。
それは、藩主 鍋島直正による藩政で、佐賀藩が裕福になったこと等です。
藩政 1子弟の教育に力を入れたこと。 子供の勉学の成績が悪いと、親の禄高が減らされたので、子供は必死で勉強した。余所から来た人が、佐賀は子供が本を読みながら道を歩いていると驚いている。
藩政 2裕福な藩になった。 鍋島藩は、福岡藩と一年交代で天領長崎の警護をしなければならなかったが、それを利用して長崎で密貿易をして巨額の富を得た。それでその資金で反射炉(製鉄の設備)鉄製蒸気船、鉄砲、蒸気機関車の模型などを作った。鍋島藩は領内に鹿島、小城などの小藩があったので、鍋島藩は実質五万石くらいでとても苦しい台所であった。長崎での貿易で80万石の藩と同程度の収入があった。それで、町民であったその貿易の担当者(野中元右衛門・・・理事長のご先祖?)は武士に取り立てられた。
子供の教育に熱を入れたので、優秀な人を多数輩出した。明治政府の事務職員の9割は佐賀出身であったとのこと。
佐賀県の者として、とても誇らしなりましたね。
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