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目は口ほどに・・・

 投稿者:ウルフ  投稿日:2016年 9月 1日(木)10時02分39秒
   本当に、皆様お疲れ様!

 驚くほど、目や表情に心が現れれるものなんですね~。

 大変なこともあったけど、手抜きをせずに・真心込めて・やり遂げた後の「達成感」や「爽快感」は、年齢に関係なく味わえることを会得した瞬間でした。

 皆様のご協力に改めて感謝いたします。「ありがとうございました」
 
 

全て水に流れて・・・

 投稿者:ウルフ  投稿日:2016年 8月 4日(木)09時52分22秒
   残り少ない余生のワンシーンを堪能しました!

 いろいろとあったけど、やっぱクラスメートなんだなー?!

 〝全て水に流れて(流して)行きました~〟
 

お疲れ様でした

 投稿者:北関東住人  投稿日:2016年 7月29日(金)13時57分42秒
  七五三会総会写真撮影ご苦労さまでした。                                        各人の人生の1ページとして心に焼き付いた思い出になるでしょう!  

99里を持って道半ばとす

 投稿者:ウルフ  投稿日:2016年 6月20日(月)17時21分2秒
   確か、こんなことわざがありましたね!?
 “出席してよかった”と言ってもらえる会合にしようと、粋がってスタートした幹事役でしたが、正直、今は意気消沈しています。

 しかし、総会まであと20日もあるんですね。
 そこで、まだ道半ばなんだからと考え直した時、“もう一度踏ん張って気合を入れなおさねば”と思うようになりました。

 関東ブロックの皆さんの支援が心にしみる毎日です。ありがとうございます。
 

ドローンでの動画

 投稿者:北関東住人  投稿日:2016年 6月18日(土)21時32分49秒
  原山さんの山荘をドローンで撮影した動画を見ました。近距離は勿論の事、高度からの撮影だと思われる山荘全体を中心とした遠くの山々まで含まれた映像や駐車場付近で皆さんが見上げている映像等かなり明瞭に映されるのですね。  

総会準備会写真

 投稿者:北関東住人  投稿日:2016年 6月14日(火)17時56分35秒
編集済
  総会まであと1ヶ月切った。大河代表幹事を始めあとちょっとの頑張り。総会成功への真剣写真拝見。
所で今回はしのぶ支配人を入れた全員の写真は無かったのだっけ?
やはり美しい花の無い写真はちょっと淋しい。でも料理は美味かった。
 

写真拝見

 投稿者:北関東住人  投稿日:2016年 4月11日(月)09時33分29秒
  やはり画伯が入った飲み会(失礼!総会準備会議)は一段と盛り上がる。皆健康な顔・顔・顔。
この集まりが永久に続けれられば良いなー。
 

あの経験

 投稿者:原山  投稿日:2016年 3月21日(月)20時50分54秒
  新宿で遭遇しました。その時の経験をFacebookで日本文と英文で発信しました。カナダとアメリカの知り合いからお見舞いのメールと手紙がきました。その時の文章(日本語)をコピペします。
私は新宿駅で被災しました.体験談を書きます.
八ヶ岳のふもとの山荘へ帰るつもりで,新宿のヨドバシカメラの前にある高速バスBTの地下待合室で午後3時20分発のバスを待っていました.少し時間があるので,ヨドバシカメラに入ろうと思って西口の地上の広場に出たときでした.ガタガタという音と少し揺れたので“地震だな”と感じました.通常ならすぐ弱まるところだんだん強くなってきました.多くの人が広場に出てきて人人人・・.揺れはいよいよ強くなってビルの壁面のガラスが割れそうな勢い.ふと遠くをみると高層ビルがゆっくり揺れている・・下の方はあまり揺れていないのに上にあがるほど大きくゆっくり振動している.各ビルが勝手に揺れている.高層ビルの頭がぶつかるのではないかと心配になるほど.
この光景はめったに見られるものではないでしょうけど,低周波振動の恐ろしさを知りました.たぶん,上の階では10mぐらいを一秒間に行き来するので,中の人は生きた心地はしなかったでしょう.
さて,それからが大変.高速バスは運休.すべての交通機関は運休.高速バスは明日の午前までは運休するとのアナウンスがあったので山に帰ることはあきらめ,池上(大田区)の自宅へ帰ることを考え交通の再開を待ちつつ駅の階段で腰かけ時間をつぶす.大勢の人が交通機関の再開を待つ.隣の,岐阜の高山から来たという二人の女の子たちとしばらく会話.二時間ほど座っていましたが,お尻が痛くなったことと再開の見通しが立たないので,ホテル探しに出ました.
近くのサンルートホテルに行ってみたら,“本日は満席”の張り紙,“遅かりし・・・!”これではどのホテルも満員と思い,24時間営業のファミレスを代々木方へ歩きながら探す.デニーズを見つけたので入って行ったら“本日休業”だって・・.畜生!
歩き回り午後7時もすぎたので新宿の地下プロムナードに戻る.多くの人たちが歩道の地べたに座っている.よく見ると敷物を使っている.それは通り道に置いてある無料の雑誌だ.私もそれを真似して一冊をもらって適当な場所を探す.出入り口に近いところは風が来るので避ける.ATMのブースはすでに占拠されている.階段は満席.
人はいっぱい,目的もなくさまよっている人がほとんど.かわいそうなのは小さなこともと赤ん坊を連れたお母さん.それにお年寄りと身体障碍者.
こういう状況になると人はフレンドリーになるみたいです.私もそうだった.隣の人とすぐ会話を始め,互いの状況を話あう.
非常用と思って常にラジオを持っています.それを聞いていたら,都営地下鉄が運行再開との連絡.午後九時.
ぎゅうぎゅうの電車で新宿から大門を経由して西馬込へそこから歩いてやっと自宅.午後11時半.あ~疲れた.携帯電話の記録で歩いた歩数は48000歩.
この経験でいくつか気づいたことがあります.
携帯電話はつながらないのはもちろんです.やはり,携帯ラジオは持っていたほうがいい.ただ,すべての放送局が同じような情報,あの時はどこの放送局も津波・津波・・.
ほしい情報は交通機関がどうなっているか,どこに避難すべきかということ.これは場所によって内容が異なるので,例えばNHKは全体的な情報,地方の民放は地域の情報・・東京ならいくつかの地域に分割してもっと詳細な情報を提供するというような方策を取ってほしい.
つぎに,あの程度(震度4)の地震でも多くの店は客を追い出してシャッターを閉めてしまう.食事するところも座るところすらもなくなってしまう.むしろ閉店しないで終夜開くべきである.政府・自治体はそのような行政指導をすべきである.
水は入手しやすいと感じました.それは自販機が至る所にあり,緊急のときの量は足りそうです.飴玉,カロリーメイトのようなものを持っていると安心です.
都営地下鉄は西馬込駅が終点ですので,多くの人はそこから二国を川崎・横浜のほうへ歩いて行っていました.私もその流れで池上まで行ったのですが,途中日産の販売店があり店の内外にテーブルとイスが並べてありました.店員が“おトイレを使ってくださ~い.休んでいってくださ~い”と呼びこんでいました.実際多くのひとが入り込み,中でテレビで津波情報を見入っていました.これはいいと思いました.こんな風習が広がれば都会もかなり住みやすくなると思いました.
最後に,大勢の人の中の大きな揺れ,見通しのきかない交通機関・・その中でも我々日本人はおとなしく整然としていたこと誇りに思えた.中には中国語,韓国語で怒鳴っている輩もいたけど,この光景を見て日本人との品位の差を認識したのではないかと思う.
 

忘れられないあの時 完

 投稿者:北関東住人  投稿日:2016年 3月12日(土)11時30分23秒
  昨日のテレビ報道を見て5年前に被災した各地はまだまだ復興には遠い感がした。
被災して2年後に本欄に投稿した記事をそっくり再投稿します。
2013年3月11日投稿
題目)あれから2年
一昨年の今日 午後2時半過ぎ、私は日本で一番最初に原発が設置された村から海岸沿いを走る 国道を車で北上していた。そして突然の走行困難のガタガタ音。車を止めて外に出たくても右・左への大きな揺れでドアも開けない。とにかくジーっと揺れが収まるのを待つのみ。カーラジオの地元放送局の女子アナが○○が6強の大地震と何度も何度も絶叫する。○○は自分の住んでいるいる町でそこへ向かっている最中。頭の中をよぎったのは震度6強では築30年過ぎた我が家の倒壊。揺れが小休止するのを待ちスタート。橋と道路とのつなぎ目が陥没して約10~15センチも段差がある橋げたを思いっきりアクセルを踏んで飛越。後から思うとよくパンクしなかったものだと。とにかく停電で信号も消えている国道を我が家を目指しまっしぐら。途中水道が破裂して道は水がゴボゴボ噴出している所。工場の男女の社員がヘルメット姿で海岸から少しでも離れようと夢中で走っている姿。 ブロック塀が崩れ屋根瓦が地面に飛び散っている家。老婆が地面に突っ伏している姿。 カーデイラーのショーウインドーの窓ガラスが粉々に崩れ落ちている所。               道路沿いの墓地から墓石が道路に転げおちている所。
それらを横目で見ながら我が家へ。通常30~40分要する所を20分少々で到着。
我が家は一応倒壊していなくて一安心。
私が通った海岸沿いのその国道は30分後には津波予想により封鎖されたとの事。
その日から全てのライフラインが止まり辛い日々の生活が続いた。
幸いにも親類・知人・友人共家屋の損害は有っても人命を失った悲しい事は起きなかったのは 不幸中の幸い。
それから2年過ぎた今日当地もまだまだ傷痕は消えていない。
新聞・テレビで東北3県を始めその他の被災地の様子・被災された人の叫び声を聴くと涙が止まらない。  復興とは名ばかりーーー。
それに引き替え政治家・スポーツ選手・テレビや新聞等のメディアはついこの間までオリンピック招致で躍起になっている。東京都はオリンピック基金に4000億円を用意したとか、たった4日間の来日の委員の接待に数億円を使ったとかーーー。
被災地の人達の為や不足している保育所の増設等にその金を使ったらどんなにその人たちに喜ばれるかと思うとオリンピック・オリンピックと躍起になっているのが腹立たしい。
来日委員のアンケードで7割の人が東京オリンピックに賛成とかーーー。
東京都民はやはり被災地の人達とはかけ離れている存在。そんな思いの今日でした。
 

忘れられないあの時 ⑤

 投稿者:北関東住人  投稿日:2016年 3月11日(金)12時57分21秒
  今日は5年前の今日亡くなられた方の鎮魂の日。
被災して1年後に本欄に投稿した記事をそっくり再投稿します。
2012年3月13日投稿
題目)あれから1年
早いもので大震災から一年過ぎました。
当地も震災直後の破壊から徐々に戻りつつあります。
個人の家の屋根の雨漏り防止のブルーシートの数もだいぶ減ってきました。
その代わり海岸沿いだけで無くメイン道路沿いの所でも あちこちがいつの間にか更地になっていて歯抜け状態の空き地が相当見られます。
市役所や中央体育館も全面建て替えを余儀なくされています。
ズタズタに陥没した道路は何とか舗装されましたが所処段差が有りそれに気が付かずスピードを出して車を走らせていると突然バウンドしハンドルを取られるようなところも結構あります。 当市の人口は震災前に約192500人だったのが現在は191000人で1500人減りました。
県外に移ったようです。

私自身の家も3月11日の震度6強でも何とか持ちこたえたのですがその後の度重なる余震で至る所でギシギシしてきました。
プロに直してもらった箇所は大丈夫ですが震災直後プロの人が居なく自分でホームセンターからセメントを買ってきて慣れないコテで修理したところはセメンが剥がれてきてやはり素人の仕事はダメなことを痛感しています。
屋外でも土地が沈んできた所も生じてきました。
ご近所でも土地が沈んだので床の下にコンクリを流し込んで補強したお宅も有るようです。

今度大きい地震が来たらどうなるかと不安ですがその時はその時と腹をくくっていますがどうなることやらーーー。

今はガソリン・灯油はちょっとでも少なくなってきたら即補充するクセがつきました。
飲料水も2リットルのペットボトルを1ダース常備するようになりました。
早く安心して毎日を過ごせるようになりたいです。
只 今でも仮住宅や遠方に避難して生活している人たちの事を考えると贅沢は言えません。





 

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