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稽古の前に「膝が痛い」とか「肩を痛めている」などと、言う人がいる。こちらが聞いてもいないのに、なぜこのようなことを言うのか、私は理解に苦しむ。合気道は武道なのに、自分の弱点をなぜ積極的に明かすのかが分からない。
「自分は痛いのを我慢して稽古に来ている。それだけ熱心なのだ」とアピールしたいのか、「痛いのに稽古するのは大変ですね。お大事にしてください」などと慰めて欲しいのか、真意は分からない。
本部道場でもそのような人はいる。しかし、私の知る限り小数である。なぜなら、本部道場では「知らない人」と稽古をするので、更衣室で着替えている時から「今日は誰と稽古をしようか」と考えている。そのような雰囲気の中で、自分から「○○が痛い」などと言えば、相手をしてくれる人は当然少なくなる。従って、たとえ痛いところがあっても、相対稽古が始まった時に「実は○○を痛めていますので、よろしくお願いします」と相手にそっと言うことが多いようだ。
支部道場では「知り合い」「お友達関係」の中で稽古をするから、「痛いところ自慢」が始まるのではないかと考えている。
しかし、入門直後の人がこのような言葉を聞いたら、どう思うだろうか。「なるほど。合気道を長くやっていると○○が痛くなるのだな。ではある程度のところでやめておこう」と考えるのではないか。実際、私も入門直後につききりで指導してくれた人は、膝が痛そうにしていたので、「自分が合気道できるのは60歳くらいまでかな」と考えていた。
さらに、指導者と呼ばれる人が「○○が痛い」などと言ったら、「なるほと、この先生の言うとおりに稽古をしていくと体を痛めるのだな」と私は考えることにしている。合気道は「選手を引退した後、指導者として生きる」という道がないので、技のやり方を云々する以前の話である。
昔、交通事故でけがをしたところが痛いとか、仕事で痛めたところが痛いというのは別だが、それでも稽古に来たからには、不要な場面で「○○が痛い」などと言うべきではないと私は考える。
それよりも、「体を傷めないで稽古をするには、どうしたら良いか。準備運動や整理運動でどんな工夫があるか」「長く合気道をするためには、自分の体にどんな手入れをすれば良いか」などを自分で考えて実践し、それをみんなに言う方が稽古仲間のためになる。ひいては、それが合気道の発展に少しでも貢献することだと思う。是非そういう話を聞きたいものである。
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