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「力を入れるな」に対する誤解

 投稿者:谷澤義光  投稿日:2022年 1月23日(日)14時07分17秒
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   合気道の稽古中に、「力を入れるな」とか「合気道に力は要らない」などの声を聞くことがある。
 時々、この言葉が誤解されて、「受け」の人が片手取りで相手の手首を「そっと」持ったり、正面打ちで「ふわっと」打ったりすることがある。
  はなはだしい例では、他の道場で指導者が見取り稽古の時に、「受け」に「力を入れるな」と言うのを聞いたことがある。「受け」が力いっぱい指導者の手を掴んだようである。
 言うまでもなく、「受け」は指導者よりも段位が下である。相手が思いきり掴んできても、自分は「力勝負」に持ち込まず、相手をさばいて制圧できると示すのが、指導者本来の姿ではないのか。
 合気道は、武道であり、相手から攻撃されても自分の身を守ることができる術を身につけるためにある。「受け」は攻撃なのだから、「攻撃する相手」に「こうしてくれ」などと言うのは、全くおかしな話である。
 もちろん、有段者と初心者が組んで稽古をする場合などでは、有段者が「受け」の時には、それなりの手加減をしなければならない。初心者が、腕を思いきり掴まれて動けなくなっては稽古にならないからである。
 しかし、「力を入れるな」を正しく理解していないと、相対稽古が「ふわふわした」技の掛け合いになったり、「盆踊り」のような動きになったりする。このような稽古風景を他の武道家が見ると、「合気道は?くさい」とか「合気道は『出来レース』だ」などと言うようになると、私は考えている。

 そこで、「力を入れるな」という言葉について、私なりに考えると、次のようになる。
1  「受身」を取る時は力を入れるな。
 最初に当たり前のことを確認する。「受身」を取る時は、力を抜いて体を柔らかくしなければならない。しかし、「受け」が攻撃する時はしっかり攻撃しなければならない。このように、「受け」の立場では、攻撃する時と「受身」を取る時とでは力の入れ方を変えなければならない。これをはっきり意識していないと、前述のように、正面打ちを「ふわっと」打つようなことになる。

2 腰腹の力を相手に伝えるためには、「腕に」力を入れるな。
 言うまでもなく、合気道では臍下丹田を中心に体を動かし、腰腹の力を相手に伝えて技を展開する。
 このことを最も体感できるのは、「座技(両手首取り)呼吸法」だと言われている。座っていて、相手に手首を掴まれても、「臍下丹田の力を相手に伝えるためには、腕に力を入れてはいけない」ということになる。
 この技の目的は、「呼吸力を鍛える」「臍下丹田を通して、腰腹の力を相手に伝える感覚を養う」ことだと考えられる。息んで腕に力を入れては、この技の目的が達成できない。その意味で、「腕に力を入れるな」は正しい。
 しかし、「受け」はどうか。「受け」が力を入れずに、「ふわっと」持っていると、「取り」は、自分の力を相手に伝えることができない。自分の腰腹の力が、互いの腕を通じて、相手の臍下丹田に伝わるという感覚を、「取り」は体感できない。
 そもそも、なぜこの技は座ってやるのか。もし、立っていれば足を動かせるので、臍下丹田が動いていなくても、相手の力を捌いたり、技をかけたりできる。しかし、座っていれば、動くのは臍下丹田と腕だけである。腕の力だけに頼っては、自分より腕力の強い相手にはかなわないと実感するためだと私は考えている。
 腕の力だけに頼らず、息の使い方を学び、呼吸力を鍛えて、臍下丹田を通して腰腹の力を相手に伝える。腕は力を入れるのではなく、正しく構える。こうすれば、臍下丹田を右に、左に動かせば、相手は崩れていく。このことを学ぶことがこの技の目的だと考える。

3 足を動かすためには、「腕に」力を入れるな。
 腕に力を入れると足が動かなくなる人がいる。武道の種類によっては、最初に互いの体を掴み、腕の力で相手を崩していくことを目指すものもある。その武道では、足を動かすことよりも腕の力で勝負するという考え方のように私には感じられる。同様に、合気道を稽古している人の中にも、腕に力が入ると、足が動かなくなる人がいる。そのような人に「腕に力を入れるな」と言うのは正しい。
 合気道では、足が動かなくなっては技にならない。合気道の技は、正しい足さばきができれば技が自然に展開できるようにできているからである。
 従って、本部道場の審査では、各級・各段の課題の技を最初から最後まで続けて行う。審査員からの指示も体を動かしながら聞かなければならない。途中で足が止まると、合格可能性は低くなるようだ。本部道場の師範に改めて聞いたわけではないが、これは、技の習得で最も大切なのは、「足の動きを止めない」ことだという考えに基づいているように思える。

4 技を正しく理解するためには、受けが「力いっぱい」攻撃することが必要である。
 合気道は、相手が「力いっぱい」攻撃してきても、自分は「力勝負」に持ち込まなくても、相手を制圧できることを目指している。
 初心者同士の相対稽古では、力いっぱい技をかけ合うとケガをする恐れがある。このような場合は別だが、相手に力いっぱい攻撃してもらわないと本当の技は磨けないと私は考える。
 例として、後ろ襟締め第三教の技について考えてみる。この技は、ご存知のように、「受け」が相手の襟と手首を後ろから掴み、「取り」が第三教で制する技である。
 この技について、時々、「取り」は「受け」の襟を掴んでいる手を取りにいくべきか、手首を掴んでいる手を取りにいくべきかと質問する人がいる。
 しかし、考えてみて欲しい。もし「受け」が襟を掴んでいる手の親指の背で自分の喉仏を思いきり締め上げて、自分は後ろに引き倒されそうになっているとしたら、どうするか。襟を掴んでいる「受け」の手を取りにいこうと考えるだろうか。
 この場合には、手首を掴んでいる手を取りにいく方が合理的だし、襟を思いきり締め上げられたら、それしか方法がないのではないか。
 「受け」がただ襟を「持つ」だけの攻撃しかしない、「ゆるい」稽古しか経験したことのない人が、このような質問をするのではないかと私は考えている。
 このように、「受け」が「力いっぱい」攻撃しないと技は正しく理解できないと思う。

3  結論
 本部道場の4階の道場に、開祖が使っていたという「鍛錬棒」が置いてある。「棒」というよりも、家の「柱」に近い。開祖はそれを片手で持って振っていたそうだ。私も一度持ったことがあるが、大変重くて、私は片手ではとても持てなかった。
 開祖は「力」を鍛えていたが、「力と力の勝負になってはいけない」とか「魄の稽古(はくのけいこ=体の稽古・力の稽古)から魂の稽古(こんのけいこ=たましいの稽古・心の稽古)へ昇華していかなければならない」とおっしゃていたそうだ。
 これがいつの間にか「合気道に力は要らない」とか「力を入れるな」と誤解されたのではないかと私は考えている。
 合気道の稽古では、最初は力をつけて、なおかつ、次第に力に頼らない、「力勝負」にならない技の展開方法を身につけなければならない。
 最初は、「力対力」で技をかけることを繰り返していくうちに、臍下丹田を意識したり、正しい呼吸法を身につけたりすると、次第に力に頼らないで技をかけることを体得していくのではないか。
 一見矛盾しているように見えるが、ここに合気道の難しさ、奥の深さがあると私は考える。
 
 
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